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フィリップ・ガレル監督 『ジェラシー』 レビュー

text : UMMMI.

 

 

あるひとりの人を愛しはじめる。あるひとりの人から愛される。私にも過去があるように、相手にも過去があり、愛したひとがいて、愛していてくれた人がいる。それは大人になった人であるならば人生のなかで当然のように存在していることで、なんとか苦しみながらも認めて乗り越えていくことなのかもしれないが、それがとてつもない困難になる場合だってある、どうしようもなく愛しているからこそ。

 

私はたいてい、愛しているひとの愛しているものはすべて愛してしまう。映画や音楽や文学、すべての文化的なことから食べ物や習慣といった生活に関わることでさえ。しかし同時に、もしかしたらその愛しているひとの愛しているものは、かつて愛していた人からやってきたものなのかもしれないなどと考え始める。愛しているひとの培ってきた結果のいまとしてのその人物が好きなはずなのに、もうそんなことはどうでもいいから、一度がつんと記憶喪失になってくれとさえ願ってしまう始末。いまの自分にとって『ジェラシー』というのは、愛しているひとの過去に苦悩してしまうことを指す、苦しみと喜びが重なり合わさった大きな謎である。

 

 

パーソナルで個人史に密接した映画を撮るフィリップ・ガレルの映画を読み解くうえで、かつて恋人関係であったヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニコについて言及するひとが多くいる。しかし同時に忘れてはならない存在が、ルイ・ガレルの母であり、1983年からの十数年の間に妻であったブリジット・シィだろう。ニコとの離婚後に撮られたフィリップ・ガレルのあらゆる映画に、ある種呪いのような孤独の影が見えるのはブリジット・シィの隠されてしまった存在なくして語ることのできないように思う。ニコと別れてからもひたすら未練を取り払うことが出来ず、苦悩するも映画を撮り続けることしかできないガレルの姿に、ひとりの人を愛することはなんたる素晴らしいこと、と多くのひとは思うかもしれない。

 

私はそうである。自分がニコであったらどんなに最高だろう。別離すらも美化され、永遠に私のことを想ってくれる人がいるだなんてまるでファンタジーのようである。しかし、連絡を取ることも会うことも少なくなったまま、ひとりの人を強く想いながらひとりで生きていくには、あまりにも人生は平淡で孤独すぎる、ということなのかもしれない。ガレルは結婚をして妻を持ち、子供を手に入れる。しかし一体誰が、自分以外のひとを愛している状態の人と結婚をしたいと思うのだろう、そしてさらには家族を持ちたいと思うのだろうか。きっと、そんなことが出来るのはなにか人には計り知れない大きな愛を持っているひとだけなのかもしれない。私にとってのブリジット・シィとはそのような存在である。ニコという巨大な存在を前に、十年間の月日に執着をまったく隠さない夫を持つというのはどのような気持ちなのだろう。

 

彼の言葉や影響の端々から感じざるおえないニコの大きすぎる存在感に、嫉妬と苦悩で気が狂ってしまうのではないだろうか。さらにはあたかも結婚は失敗だったかのように『ギターはもう聞こえない』などに始まる映画のなかで繰り返し描かれてしまう、尚かつその苦しみを演技までしなければならない状態とは。それとも、いくら悲惨な役柄であったとしても自分を撮影の対象としたいといってくれたフィリップ・ガレルの言葉に、ニコと自分をなんとか重ね合わせることで演じることの痛みを喜びへと昇華しようとしたのだろうか。フィリップ・ガレルの映画を観るうえで、彼のあまりにもパーソナルな状態がもはや必要以上に描かれすぎてしまっているからこそ、あらゆる映画において愛の対象になったことがある存在からの『ジェラシー』という感情が彼の多くの作品にまとわりついているように思える。

 

 

「僕は僕だ、昔から。喜びと苦悩がある。ゆえに君を愛している。」ジェラシーの劇中で、ルイは新しい恋人のクローディアに向かって言う。かつて妻がいて、その関係ですら曖昧な上にその間に子供がある人だったとしても、きっとこの言葉さえあれば君のすべての過去を認めてあげることが、なんとか出来るかもしれないと、痛切に思わずにはいられないセリフである。好きになってしまったら苦しむことが容易にわかるのに、なぜ好きになってしまうのだろう。そして一度愛してしまったなら、なぜこんなにも愛していた事実を振り払うのがしんどいのだろう。嫉妬のあまり泣き叫んだり、楽になりたいがためにどうでもいい男と寝たりしても何も変わらないというのに。やり場もいいことも何もない、それでいて考え始めたら苦しみによって死んでしまいそうになるジェラシーという気持ちは罪深い。

 

なぜこんなに苦しめるの、このままだったら苦しみによって死んでしまいそうだ、もうこの関係なんて辞めてしまおうという気持ちと、それでも一緒にいたい、きっと辛いことを忘れることの出来る日が来るだろうという新しい恋人クローディアの気持ちの反復。そして何故こんなにも愛しているのにどこかへ行ってしまうの、何を考えているの、新しい男といるんじゃないかというルイの気持ちの反復。そしてそこに静かに加わり、娘からルイとクローディアの関係を聞かされてしまうルイの元妻のクロチルドの気持ち。単純なようで複雑な、あらゆる種類のジェラシーがレイヤーのように重なり合う。

 

 

この映画『ジェラシー』は賢くて傷つきやすい、愛を真剣に信じるひとに向けられた、ジェラシーというひとつの疑問符なのかもしれない。では、一体どうやって生き延びればいいのだろう。ひとりで生きるには人生はあまりには寂しすぎて耐えることなど出来そうにもない。そう思っているひとへの残された数少ない道のひとつとして「自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」というニーチェの言葉を信じて、けしてジェラシーという呪いに飲まれることなく愛している人の横で思いとどまり、どんな手段を使ってでも一緒にいることが出来る喜びと苦悩に耐えてみることが最も純度の高い美しさなのかもしれない。愛しているひとと別離したあとに深く愛されたって、別になんの意味もないのだと自分に魔法をかけながら。

 

 

 

 

 

『ジェラシー』
9月27日より、渋谷シアター・イメージフォーラムにて公開中
© 2013 Guy Ferrandis / SBS Productions
配給:boid、ビターズエンド
http://www.jalousie2014.com/

 

 

 

October 7,2014

フィリップ・ガレル監督