QUOTATION

怪物的映画作家、ラヴ・ディアスの新作『立ち去った女』が公開

text by Asako Tsurusaki

 

長いもので11時間に及ぶ圧巻の超長編作品を生み出し続け、“怪物的映画作家”と称されてベルリン、カンヌ、ベネチアをはじめ世界の映画祭を席巻してきた鬼才ラヴ・ディアス。これまで日本では映画祭でしか観ることの出来なかったディアス監督の、待望の日本劇場初公開がついに果たされた。4時間弱という比較的”短編”である本作『立ち去った女』は、トルストイの短編にある”人生を本当の意味で理解している者はいない”という言葉に感銘をうけ生み出された。舞台は1997年6月30日、香港の返還が迫っている時代のフィリピンの刑務所から始まる。無実の罪を着せられ30年も囚人生活を送ってきた中年女性ホラシアの静かなる復讐劇を、静謐でモノクロなタッチでスリリングに描いてゆく。

 

これまでにも『北(ノルテ)―歴史の終わり』(2013)や『痛ましき謎への子守唄』(ベルリン銀熊賞受賞)、『昔のはじまり』(ロカルノ金豹賞受賞)などで、母国の社会問題や政治的紛争を背景に「魂の救済」と「歴史の再構築」を描いてきたディアス。この作品でも自分の人生を奪われ傷ついた主人公や彼女を取り巻く人間たちの魂が、人生という歴史を取り戻す旅路に沿ってディアスの厳しくも優しい口調で語られてゆく。

 

主人公ホラシアは秩序と平和が保たれた刑務所のなかで、30年という長い時を過ごしていた。そこでは看守たちとの信頼関係も築かれ、心穏やかな日々が流れていた。しかしある日、ホラシアのかつての恋人・ロドリゴが彼女を冤罪に陥れた事実が伝えられ、彼女の平穏な日々は幕を下ろす。自由を与えられシャバの世界へ放たれたホラシアは、これまでの”楽園”から厳しい”現実”へと向き合わなくてはいけなくなる。やがて彼女はロドリゴの居場所を突き止め、復讐を誓う。時にレナータ、レティシアと名前を変え、夜の街をさまよいその時を待つ。同じく街を彷徨う様々人々との出会いが、ひととき彼女を癒すが…。

 

ディアスの作品では、”風景”や”時代”が作品の主人公を据えられている。戒厳令による人間を追い詰める不条理な時代、革命によって人間を分断する冷酷な時代、逃げ込む人間を優しく包むジャングルの風景、容赦なく生活を奪う嵐の風景。人間がその中で出来ることは限りがあり、決してその風景に変化を与えることは出来ない。しかしだからこそ、愛おしく映るのだ。本作でも主人公は、ホラシアという一人の女性をストーリーの導線とした、果てしなく続く暗闇に支配された街に置かれている。そこでは故郷を無くし自暴自棄になったバクラ(オカマ)、ホラシアという名前を捨てたレティシア、そして幼少期に惨殺された父親の姿を見てしまった過去を持つバロット(アヒルの卵)売りの男や、貧しくも必死に生きる彼の家族たちの姿が、時折街灯によって見え隠れする。しかしその漆黒の闇は決して人間を飲み込む恐ろしいものではなく、彼らが魂に負った傷を隠してくれるような温かい存在だ。そのためか、乾燥した風が人々の皮膚を傷つけるようなヒリヒリした描写は健在だが、本作では主人公ホラシアが受けるひとときの癒しの時間がとても心に残る。この闇の中でのホラシアは、日中の光に痛々しく晒され顔を隠した昼間のホラシアと比べても男性的なファッションに身を包み、実に堂々と活き活きと生きている。その姿はまるで、彼女が不条理にも奪われた人生を取り戻し、生き直そうかとしているようにも見える。

 

「願いは夢の中に住んでいた。夢はまた奪い去られた」。最後にホラシアがつぶやくこのセリフには、何度も生き直すタフさを強いられるホラシアの慟哭が聞こえてくるようだ。彼女はまたどこかに、自分の傷を隠してくれる闇を探すのかもしれない。そしてその姿は、奪われても立ち上がることの恐ろしさと過去を忘れないことの大切さを、私たちに教えてくれる。

 

『立ち去った女』
(2016/フィリピン/タガログ語/228分)
監督・脚本・撮影・編集:ラヴ・ディアス
出演:チャロ・サントス・コンシオ、ジョン・ロイド・クルズ、マイケル・デ・メサ
www.magichour.co.jp/thewoman/

配給・宣伝:マジックアワー
10月14日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

 

 

 

 

 

 

 

October 18,2017