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『セザンヌと過ごした時間』ダニエル・トンプソン監督インタビュー

interview & text by Asako Tsurusaki

© 2016 – G FILMS –PATHE – ORANGE STUDIO – FRANCE 2 CINEMA – UMEDIA – ALTER FILMS

 

自然主義文学の提唱者として数々の傑作を生み出した作家、エミール=ゾラ。そして近代絵画の父として崇められた天才画家、ポール・セザンヌ。彼らがかつて幼少期より長きに渡る友情を育み、互いに支え合い、そして袂を別つようになったことは有名な史実である。しかし近年、二人が決別した数年後にセザンヌが書いた「君に会いに行くつもりだ」というゾラあての書簡が発見された。この二人が決別後に再会するという脚本を既に書き上げていたダニエル・トンプソン監督は、このニュースを聞いた時、自分の中の揺らぎが確信に変わったという。

裕福な育ちだがなかなか才能を認められず偏屈な画家として追い詰められてゆくセザンヌと、貧しいイタリア移民として育ちながらも『ナナ』や『居酒屋』などで若きより名声を得たゾラ。この対照的なふたりのイノセントな関係はどのように変化し、そして共有した夢とはなんだったのだろうか。そして本当に再会はあり得たのか、またその時どんな会話が成されたのだろうか。そんなドラマチックなテーマに挑んだのは、『シェフと素顔と、おいしい時間』や『モンテーニュ通りのカフェ』で軽快なコメディタッチを得意とするダニエル・トンプソン。「お前の小説は新しいのに家は中世か?」そんなセザンヌの皮肉から始まるふたりの”最後の会話”を、サスペンスタッチで描いてゆく。

 

 

interview with ダニエル・トンプソン監督

 

 

■この作品を撮ることになった、一番のきっかけはなんだったのでしょうか。

それは、二人の関係です。セザンヌとゾラに友情関係があったということを発見したとき、これはすぐに映画になると思ったわけでなはありませんでした。でもそこに何かドラマチックなものがあるんじゃないかと思い、リサーチを始めました。彼らの子供の頃からの友情は40年も続き、そして最後には仲違いしてしまいます。その仲違いしてしまった原因は何だったのだろう、というところにかなりそそられ、これはドラマになるんじゃないかと思いました。

 

■セザンヌがゾラにあてた手紙が発掘されたことで、絶交したはずの二人にまだ友好関係があることがわかった、ということがわかったのですよね。ではせっかく再会したふたりが、やはり訣別するというシナリオにしたのはどうしてだったのでしょうか。ひそかに交流が続くなど、ハッピーエンドにする結末も、選択肢としてあり得たと思います。

確かに最後の手紙が見つかりました。でも実際に最後の手紙があったからといって、彼らが交友を続けていたかというとそうではなく、史実を見てもやはり彼らはだんだんと疎遠になっていったということだったんです。その理由として、色んな彼らを引き裂くような問題があの周辺に起きていました。恐らくゾラにしても、これ以上彼を支援していくのは疲れた、というような関係性の疲弊というものもあったでしょう。またドレフュス事件も起きてしまいました。ゾラはドレフュスを支援するけれども、セザンヌはその反対側にいたのです。どちらにしても二人の道のりはどんどんと離れていったということが、事実であったわけです。でも私はそれだけではなく、ここに再会のシーンを付け加えたかったんです。彼らは再会した時にどんなことを言い合い、これまでのことをどんなふうに説明付けるのか。そういった二人の男の会話を両者の口から話させ、ケリをつけさせたい。そういう想いが私の脚本家としての根っこにあったのです。

 

■再会から始まる冒頭から最後のシーンまで、まるでサスペンス映画のようなふたりの緊張感あふれるの会話劇がとても印象的でした。

はい、それは意図したところでした。その間に、二人の愛情や友情というものがちゃんと散りばめながらも、この緊張感を保ちたいと思っていました。

 

■ふたりの緊張感あふれる会話ももちろんですが、今回一番心に残ったのはエンドロールのシーンでした。記者たちに囲まれたゾラと、群衆の影からその様子をのぞいている立場のセザンヌ。そしてその姿は、やがてセザンヌの名作となる「サント・ヴィクトワール山」の山に消えてゆきます。この演出に込めた監督の想いについて教えてください。

記者に囲まれたゾラのシーンですが、あれは実際にあった出来事です。ただセザンヌは実際にその場にいたのではなく、人づてにその様子を聞いたというのが、私はエンディングを、悲しいだけのものにはしたくありませんでした。そこにはアーティストとしてのセザンヌの躍動感や、彼にとって大切なものであり一番インスピレーションを与えてくれる”自然”の中に入っていく、そんな彼の運命的なものを感じさせる詩的な最後を感じさせる詩的なものとして描きたいと思い、ああいう絵にしたのです。音楽もノスタルジックではあっても悲しいだけじゃなく、なにか希望を残させるような音楽のトーンにしてほしい、と音楽担当の人に頼みました。そして仰るようなセザンヌの絵との合成についてお話ししましょう。あのシーンでは、セザンヌが一番名声を築き上げることになる「サント・ヴィクトワール山」シリーズの、一つだけでなく色んなバージョンを少しずつ編集して見せることで、観客に「ようやくこれを見れた」という満足感を持って帰ってもらおう、と意図したのです。敢えてセザンヌの絵自体を、二人の友情の中に割り込ませることなく、最後にセザンヌの絵画を持ち出す演出にしたんです。

 

■確かに、あれ以降セザンヌは晩年、名声を得るようになりますね。セザンヌは、ゾラと袂を別つまで生涯にわたり、精神的にも経済的にもゾラに支えられてきました。しかしセザンヌも、ゾラの破天荒な自由な精神に憧れを抱き続け、実際に作品のインスピレーションという形で支えられてきたのだと思います。やがてふたりは訣別しますが、ふたりの別れは、お互いに新しい世界へはばたくきっかけを与えてくれた、とも感じられる分岐点のように思えました。

それは確かに正しい視点ですね。今回ゾラの曾孫さんの人のおかげでゾラが実際に住んでいた家で撮影ができたのですが、彼女からふたりの別れについて聞いたところ、「あれは、セザンヌがお父さんから莫大な遺産を受け継いだから、もうゾラを必要としなくなったのよ」と教えてくれたんです(笑)。それはおいとくとして、彼らが袂を別つきっかけになる要素はそれまでにたくさんありました。彼らが選んだ人生の選択肢や、あるいは彼らの人生のリズムが微妙にずれてきた、ということにも関係しています。ゾラは自分の傑作を48歳前に書き終えてしまっていて、それからはあまり制作していませんでした。それに対してセザンヌが本当に大成し始めたのは、50歳を過ぎた頃からです。そういうふたりの人生のリズムが少しずつずれてきた、ということも原因のひとつです。ゾラはジャンヌに夢中になって新しい人生が始まりますし、それは二重生活のスタートでもあります。そこへドレフュス事件も起こりますし、決して単純な毎日ではなく、セザンヌに構ってもいられなくなります。セザンヌも小さな南仏の街で自分の芸術にだけ向き合って生きていくという、隠遁生活を送るようになります。そういった、離れてしまうことにより変化する内的要素というものもあったのです。

 

■セザンヌは印象派に対して、嫉妬も含めて辛辣な意見を述べます。これは自然主義が終わりつつあるという残酷な時の流れへの焦り、つまりゾラの傑作の時代が終わって新しい時代へ突入することへの危惧を感じる、ゾラの心の叫びともシンクロしていたのではないかと思いました。

面白い意見ですね。同時にそれはすごく正しいと思います。どちらかというと、こういう言い方ができるかもしれません。ゾラは自分が目指した時代が「自然主義」という形としては終わりました。かたやセザンヌは「近代絵画の父」として、自分を出発点とした絵画の時代が開花してゆきます。そういう意味では、こういう風に彼らが自分たちのことを分析していたとは思いませんけれども客観的に見て、かたやひとつの時代の終わりの象徴であり、かたやひとつの時代の始まりの象徴であります。またゾラは若い25歳くらいの頃には、印象派をとても擁護した記事を書いています。それにも関わらず、50歳くらいになってしまうととても保守的になり、逆に印象派を批評するような記事を書いてしまうようになってします。そういうゾラの保守化というのもありますね。

 

■この作品では人物の描写もさることながら、セザンヌの静物や風景の空気感を見事に描いていました。冒頭の瓶やりんごをカメラがなめるシーンなど、セザンヌの絵の中の世界と現実がリンクしていてとても素晴らしかったです。その上で、作中でセザンヌが唱えていた「描いてみたいのは空気の流れ」という言葉に、すごく納得させられました。この映画ではパリの魅惑的だけれど追い立てられるような空気感、そしてプロヴァンスやメダンでの開放的な空気のどちらもが対照的に表現されています。「光」を描く上で、一番気をつけていたことはなんだったのでしょうか。

今回、撮影監督のジャン=マリー・ドルージェとは本当に密な話し合いをしました。私は水の輝きはこういう風にしてほしいなど、細かく要求し、ジャンはそれに対して色んなテストをしてくれました。とりわけ光のコントラストについて、北のパリのほうの光と、南の光は違うようにリクエストもしました。ちょっとぼやけた光や非常に明確にクリアに見えている光の違い、またマネとセザンヌの違いを映像に出してみるなどのリクエストなどについても、いろいろとディスカッションを行いました。

 

光の演出のなかでも特に印象的だったのが、水浴びをする水面のきらめきや、セザンヌとゾラが夜川の橋の上で反射する光に顔が照らされているシーンでした。

ジャンはこのシーンで、イサム・ノグチの提灯型の和紙のランプのすごく大きなものを制作しました。このランプを月と見立てて彼らの後ろに置き、月の光に照らされているような撮影効果を生んだのです!

 

■セザンヌは晩年になってようやく、画商ヴォラールによって世間に認められるようになります。あなたはアートコレクターとしても知られていますが、今回ヴォラールに関しての描写を控えめにしたことには理由があるのでしょうか。個人的には、ヴォラールがセザンヌの芽を見つけ出してゆく描写もあるかと思っていました。

画商とセザンヌの関係については、今作ではテーマの外側にあったものでしたから。私が今回描きたかったのは、ゾラとセザンヌの友情の物語でしたので。でも私の裏方の作業としては、ヴォラールの証言というのは本作において非常に役にたっています。例えばヴォラールの回想録でこのような逸話がありました。ある日ヴォラールがゾラに会いに行ったとき、彼の家にはセザンヌの絵がまったく飾られていなかったのです。ゾラの娘アレクサンドリーヌがいうには、セザンヌの絵は屋根裏にしまってしまったということでした。またゾラの家にはものが溢れていて、ほこりっぽくて古臭い感じだったそうです。そういう要素をヴォラールの回想録から拝借して、今作での演出に使わせてもらってます。そういう意味でも、主役以外の脇役たちはセザンヌとゾラの友情を進展させてゆくための狂言回し的な役割として、使わせていただきました。

 

 

 

9月2日(土)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次公開中

監督:ダニエル・トンプソン『シェフと素顔と、おいしい時間』『モンテーニュ通りのカフェ』
出演:ギョーム・カネ、ギョーム・ガリエンヌ、アリス・ポル、デボラ・フランソワ、サビーヌ・アゼマほか
原題:Cézanne et moi/英題:Cezanne and I/2016年/フランス/仏語/スコープ/114分
配給:セテラ・インターナショナル

http://www.cetera.co.jp/cezanne/

 

 

 

 

 

 

September 8,2017

© 2016 – G FILMS –PATHE – ORANGE STUDIO – FRANCE 2 CINEMA – UMEDIA – ALTER FILMS

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ダニエル・トンプソン監督

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