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ギンザ・グラフィック・ギャラリーにて開催中、「ロマン・チェシレヴィチ 鏡像への狂気」展レポート

text, photo : daiki tajiri

Design: Kijuro Yahagi

 

 

5月15日(月)より6月24日(土)まで、東京・銀座にあるグラフィックデザインの専門ギャラリー、ギンザ・グラフィック・ギャラリーにて、第359回目の企画展として「ロマン・チェシレヴィチ 鏡像への狂気」が開催されている。

 

1950年代から1960年代初期にかけてポーランド派ポスターの第一人者のひとりとして、「みるためのアート」から「読むためのアート」を開拓したロマン・チェシレヴィチの作品が大量に展示されたこの展覧会は、展覧会タイトルにもなっている通り“狂気”のようなものを感じる。

 

第二次世界大戦時、ナチス・ドイツやソ連に侵略され、冷戦時もソ連の衛星国として動かされたポーランドは多くの苦しい環境下に脅かされていた。しかし、そのような状況下でチェシレヴィチは価値観の視野を狭めずに、バウハウスやロシア構造主義にインスピレーションを受け、自身のタレンテッドなイマジネーションの素材として活用していった。

 

もともと、ポスターデザインがアートとしてみなされなかった時代背景がある中で、様々な手法を屈指しグラフィックデザインの進化に貢献したチェシレヴィチの作品群は今鑑賞しても活き活きとしていて洗礼されている。

 

壁に敷き詰められたポスター、コラージュ、版画には一つ一つ「力」を感じ鑑賞している我々は混沌としたチェシレヴィチの鏡像の世界へと惹きつけられる。それはみたことのないシンメトリー表現をはじめ、ダ・ヴィンチを思わせる円を使用したデザインの美しさ、コラージュによるピカソに似た顔面変容など、新たなイメージの発見を我々に促してくれる。

 

また、ガラスケースに展示されているチェシレヴィチの自主出版誌「KAMIKAZE」も他の展示物同様、驚かされる要素が多い。風刺的でありラディカルな写真が一枚のページに大きくプリントされ、見開きで対照的な写真が隣り合っている。チェシレヴィッチが「戻ってくる写真」として収集した新聞などの報道写真切り取ったものが意味深なタイトルと共に展示されており、そこには元々の報道写真の意味は失われ、新たな意味が生み出されている。

 

整ったギャラリーの中で、このような報道写真の一部を拡大したものを手の触れないように展示しているという状況も、まるで「KAMIKAZE」のように皮肉的、対照的に感じられて面白い。

 

近年、パロディやオマージュについて騒がれる傾向にある中で、チェシレヴィチのようなデザイナーは一体どう思われるのか分からないが、この展覧会に足を運び、過去をアーカイブし多くの文化を取り入れ新しいイメージを確立したその行動は、偉大だと感じざるを得ない。

 

また、今回のような、一人のグラフィックアーティストを莫大な作品数と情報と共にあくまで日本での展示としてフォーカスした展覧会はギンザ・グラフィック・ギャラリーの独特な目線から生み出されたものではないかと思った。デザイン、アートの概念が変化した時代を体験しに足を運んではいかがだろうか。

 

 

 

 

■展覧会インフォメーション
ロマン・チェシレヴィチ 鏡像への狂気
2017/05/15(月)〜 2017/06/24(土)
HOURS:11:00〜19:00 日曜・祝日休館
PLACE:ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
ADDRESS:104-0061 東京都中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル1F / B1F
TEL:03-3571-5206
URL:http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/
COOPERATION:ポズナン国立美術館
SUPERVISE:矢萩喜從郎
SUPPORT:ポーランド広報文化センター、在日フランス大使館 / アンスティチュ・フランセ日本

 

 

■ロマン・チェシレヴィチ Roman Cieślewicz (1930-1996年)
1930年1月13日ルヴフ(現ウクライナ)生まれ。ルヴフの美術産業学校で学んだ後、1946年、家族でポーランド南西部の都市オポーレに移住。1955年、クラクフ美術アカデミーを卒業後、ワルシャワへ移り、グラフィックアート出版社WAG他、複数の出版社のために働く。また、当時の映画ポスター制作を国家から請け負っていた二大機関のひとつ、CWFの仕事も請け負う。1959年から1963年まで、月刊誌『ty i ja』の芸術編集者を務める。1963年、彫刻家の妻、マリナ・シャポチニコフとともにポーランドを去り、ドイツ、イタリアを経てフランスに移住。1971年、フランスに帰化。フランスでは、ファッション誌の『ELLE(エル)』や『VOGUE(ヴォーグ)』、美術雑誌『Opus International(オピュス・アンテルナシオナル)』他多数の出版物、広告代理店マフィアのアートディレクターなどを務める。1975年より、パリの上級芸術学校(ESAG)で教鞭をとるなどデザイン教育にも携わる。1966年よりAGI会員。受賞歴は、1955年トレコフスキー賞、1972年第4回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレグランプリ、1973年カンヌ映画祭ポスター特別賞、1979年ポーランドフォトモンタージュ賞、1990年グラフィックアート全国グランプリ他多数。写真、コラージュ、タイポグラフィ、シルクスクリーンなどの技術を駆使し、グラフィックとモンタージュを混合することで、グラフィック表現の新たな言語を生み出し、その後のグラフィックアートに多大な影響を与える。1996年1月21日逝去。

 

 

 

 

 

June 25,2017