QUOTATION

『変魚路』高嶺剛監督インタビュー (後編)

text : asako tsurusaki

高嶺 剛 監督

 

[美術・山城知佳子さんとのコラボレーション]

今回の作品の美術を担当された山城知佳子さんとのコラボレーションについて教えてください。彼女とはどのようにして一緒に世界観を作っていったのでしょうか。

シナリオがすっかり揃っていない状態でスタートしたので、最初はある程度の覚書きを渡したり、口頭で大雑把な説明をしたりしていましたが、各作業を細かく指示することはありませんでした。共同作業の面白さって、一方通行でなく、お互いにある程度高めあっていけるようなところだと思うんですよ。僕の思っていることをそのまま具体化してくれるだけじゃなくて、各人の解釈で膨らましてくれるようなことが、期待できるようなね。そういう意味では、彼女との共同作業は非常によかったと思います。美術関係だけでなくキャスティンクの妙味にも感心しました。刺激的にものに、日々巡り合えることができる撮影現場というのは実にいいものです。

山城さんがあいちトリエンナーレで発表されていた<<土の人>>を始め、彼女の作品は出身地の沖縄という実在する場所を舞台にしながら、同時にフィクションと交差させることによって「どこでもないけれど、どこにでもある場所」という多様な物語を立ち上げる方です。それは 高嶺監督の描く、沖縄だけどどこなのかわからないような不思議な場所を描くことと相性が良かったのではないかと思いました。

沖縄のどこなのかわからないとおっしゃいますが、それは東京や大阪から見ると沖縄のどこなのか特定できない印象があるのは当然なわけですよ。たとえば東京で撮られる映画は「ここは東京である」ということを前提にすれば、各シーン別撮りなんて当たり前でしょう。繋がった映像を観て「東京がバラバラだからダメ」なんていう人はよっぽどでないといないですよね。沖縄に住んでる作家たちが沖縄を舞台に制作するときも同じことですよ。外からみたら、沖縄のおおざっぱなイメージってあるのでしょうが、場所の固有性というのは、そのイメージからはずれる、はずれない、にとらわれることはないわけです。

それは東京からの目線だったということですね。沖縄の方から見ると、どのカットはどこだとかわかるシーンも多いのでしょうか。

それぞれが持っている目線そのものは、しょうがないですけど、わかる人もいるかもしれないし、「統一されていない」という印象もあるかもしれないですね。統一を求めることがはたして必要かどうかです。統一は便利ですけど。

[沖縄の土地の匂いを醸し出すミュージシャンたち]

美術ももちろんですが、監督の作品では音楽も大事な要素です。今回はこれまでの作品以上に特に音楽の存在感が大きかったと感じました。出演している大城美佐子さんや平良進さん、川満勝弘さんなど沖縄を代表するミュージシャンたち自身もそうですし、歌われている歌詞の内容(「誰のものでもないこの沖縄」など)が、現代に通じる沖縄の浮遊感みたいなものをとても表しているような気がしました。

映画の中で歌われている島唄や琉球民謡の歌詞は、人や世相を唄うものが多いですからね。出演していただいた大城さんたちは、いうまでもなく、沖縄の地に根ざした存在です。彼女たちに出てもらったのは、沖縄音楽や芸能の披露だけじゃなくて、沖縄の土地の匂いを醸し出してくれるからです。フィクションの映画とはいえ、その匂いを慎重にすくい取ることが大切だと思います。僕の大きな仕事は、「芝居」と「匂い」のバランスの匙加減をどうすくい取るかですが、いい役者さんはそのことを、自分でさらりとこなしてくれます。沖縄そのものともいえる芸能人の方々に、役者として出演してもらったところは、やはり大きな魅力でした。何をもって「沖縄そのもの」というのか、場所、世代、癖など、と人それぞれでしょうが。

沖縄民謡は、レとラを抜いて「レラ抜き」の音楽と呼ばれています。勝手な思い込みかもしれませんが、沖縄のミュージシャンはこのポッカリと抜けた2つの音階の「行間」を楽しみ、そしてその隙間に森や風や波など沖縄の持つ自然の音を融合しているような雰囲気も感じます。またこの空気感は対話している沖縄の人たちの会話やテンポにも通じる気がします。

僕のつくる映画も「レラ抜き映画」ということですか(笑)。うれしいよ。こじつけかもしれませんが、そう言われてみるとそうかもしれないね。「何かが抜けている」という感じはあるのかもしれない。沖縄民謡が今のようによく聞かれるようになる40-50年前は、「レラ抜き」の沖縄民謡は調子がずれているって言ったのを聞いたとがあるんですよ。かつてのヤマトゥの方(日本人)からすると「何かが抜かれた」沖縄の音楽は肩透かしを食うように感じたらしい。今となってはそれがエキゾチックで、癒されるようですけどね。日本人が聞いても、「レラ抜き」が快感になっていったのかなぁ。日本の世相や感覚も変わってきたなと感じますね。

監督の映画に登場する人物たちの対話のテンポからは、そんな沖縄民謡と同じく不思議な「間」で語りかけてくるようなものが空気感をとても感じます。これは人によって感じ方が違う、想像力を観客に委ねる、という監督の作風に通じるような気がします

沖縄の土地のリズムみたいなものに忠実になりたいと思っています。映画に含まれる情報って、いろいろあるでしょうが、その土地ならではの空気感も大切な情報の一つだと思います。映画の撮影は、その空気と関係を持つのだから、沖縄のドキュメントとして空気の「間」があってもいいと思いますよ。僕は、このような映画を作りたいという目的はもちろんありますが、空気ってそうそう都合よく整理できるものではないし、その場の空気の湯気のようなものも必然的についてくるものです。「映画のどこを切っても沖縄の血が流れる」そのとき流れる血の色は赤だけではなく、灰色かもしれない。

[沖縄の本土復帰、「日本人」になった瞬間]

沖縄という土地は、唐や大和、アメリカや現在の日本に至るまで、長い歴史の中で多くの国に属してきた土地ですね。その歴史の中でも監督は、作中の時間軸を沖縄の本土復帰(72年)以前に設定していることが多いですが、その理由について教えてください。

沖縄は外部事情にはげしく翻弄されてきた場所です。支配構造が実にコロコロ変わってきた。僕のほとんどの映画の時代設定は、自分が直接関われた頃です。僕の実感からいえば、青春を過ごした、日本復帰する前の、アメリカの統治下にあった頃です。時代を描くことが最終目的ではないので、時代設定そのものはたいして重要とは思いませんが、時代のなんたるかは、その気がなくても映画にくっついてきます。僕は今の時代にリアリティを感じていないので、わからないんだよね。アメリカ統治下だった頃がいいなんて思わないけれど、日本復帰したから、電気のスイッチみたいに、さぁこれから、僕は日本人だとはどうしても言い切れなかった。いまでもそうです。これは良し悪しではありません。実際の体験としては、19歳くらいまで、まだ日本復帰してない沖縄の那覇に住んでいたので、自分のいろんな精神構造のベースみたいなものが、その頃つくられたのでしょう。沖縄の過去にしがみつくというより、その頃なら、僕なりに、とりあえず描けそうだからです。その頃の「匂い」を頼りにしてね。いまは「沖縄」と「映画」と言い切ります。

本土復帰のニュースを聞いた当時は、京都の大学にいらしたのですよね。

あれは実に貴重で妙な体験だったのでしょうね。日本復帰したのが1972年5月15日。僕は1969年の春、パスポートを持って沖縄から国費留学生という形で、たまたま京都の大学に配置されてきたわけです。

正直、どのように感じましたか。

「これからは沖縄は日本だ!」といわれても、「いきなりそんなこと言われても、ちょっと待ってよ」ってね。何か大きい勢力の事情で調印式などを行っているような印象も受けましたし。もちろん沖縄の人たちの気持ちがあったと思いますよ。でも自分の何たるかを国がポンっと決めて、「今日からお前は日本人だ」と言われてもね。もちろん前々からさまざまな動きや手続きはあったものの、これから自分は日本人だと、思わなければならないのかって、実に妙な体験でしたね。国費留学生への給付金って、あの後どうなつたのか、いまはよく覚えていない。

その時のモヤモヤした「自分が何者たるか」という気持ちが、監督の作品には反映されているのですね。『夢幻琉球つるヘンリー』でも自分のルーツであるアメリカ人の父親を探す旅時の表現がありましたが。

「自分(たち)が何者なのか」ということは、いつの世も沖縄につきまとう悩みです。『夢幻琉球つるヘンリー』はフィクションですけれど、市井の人が、国の気まぐれで、心身をぐじゃぐじゃにされて、ほったらかしにされる。映画では誇張されているとはいえ、実際にもかたちを変えて似たようなことはあったと思います。そのようなことがまかり通るということは、やはり異常ですよ。受難が宿命の島とは思いたくない。

現在も沖縄で起こっている様々な問題に対して、言葉を投げかけている若いクリエイターたちがたくさんいますが、彼らの活動に対してはどう感じていますか。

生活をなげうってまで、世相への異議申し立てや、表現活動をやっている人に対して、敬意を表します。

[今後について]

今作は長編作品として実に18年ぶりの作品でした。少し気が早いのですが、今後の制作予定や興味のある題材などはあるのでしょうか。

具体的な予定は特にないですが、興味のあるものはいくつかありますね。映画の枠を「沖縄」に限定した劇映画。沖縄連鎖劇芝居の旅芸人とか、タクシー運転手を主人公にした人情ロードムービーを撮ってみたいと思っています。

『変魚路』
(2016年 / カラー / DCP / 沖縄語・日本語 / 81分)
監督・脚本:髙嶺 剛
キャスト:平良進、北村三郎、大城美佐子、川満勝弘、糸数育美、河野知美、山城芽、西村綾乃、親泊仲眞、内田周作、花井玲子、石川竜一
音楽:ARASHI(坂田明、ヨハン・バットリング、ポール・ニルセン・ラヴ) 大城美佐子 大工哲弘 嘉手苅林昌 CONDITION GREEN 北村三郎

撮影・編集・合成:髙木駿一、制作・録音:後藤聡 、助監督:砂川敦志、撮影:平田守
美術:山城知佳子、衣装:阪田清子
制作進行:宮島真一、音響:菊池信之
プロデューサー:濱治佳 、総合プロデューサー:岡本由希子
製作:『変魚路』製作委員会

2017年1月14日(土)シアター・イメージフォーラムにて公開中、2月11日(土)大阪・シネ・ヌーヴォ、2月25日(土)桜坂劇場ほか順次公開

http://www.cinematrix.jp/hengyoro/

[高嶺剛]
1948年沖縄の石垣島川平生まれ。
高校卒業まで那覇で過ごしたあと、国費留学生として京都教育大学特修美術科に入学。その頃から8ミリ映画を撮り始める。
ジョナス・メカスを私淑し、日本復帰前後の沖縄の風景を凝視した初長編監督作品『オキナワン ドリーム ショー』(1974)を制作する。1985年初の長編劇映画『パラダイスビュー』完成。ベルリン国際映画祭ヤングフォーラム部門をはじめ、10数カ国の映画祭に出品。
『ウンタマギルー』(1989)でベルリン国際映画祭カリガリ賞、ナント三大陸映画祭グランプリ、ハワイ国際映画祭グランプリ、日本映画監督新人賞など国内外の映画祭で多数上映、受賞し、全編沖縄語で展開される新しい表現を生みだした作家として世界的に注目される。
1996年よりジョナス・メカスの来沖がきっかけとなり生まれた『私的撮夢幻琉球 J・M』を発表。1998年には沖縄を代表する民謡歌手の大城美佐子を主演に迎え、『夢幻琉球・つるヘンリー』を市民プロデューサーシステムでデジタル撮影をいち早く取り入れて製作、東京国際映画祭、ロッテルダム国際映画祭、香港映画祭などで上映。ほかにも短編多数制作。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2003に審査員として参加、沖縄特集でも「髙嶺剛の世界」として特集される。2006年には、NYのアンソロジー・フィルム・アーカイブにて、「Dream Show: The Films of Takamine Go」レトロスペクティブが開催された。本作『変魚路』は、18年振りの劇映画作品となる。

 

February 1,2017

©『変魚路』製作委員会

©『変魚路』製作委員会

©『変魚路』製作委員会

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©『変魚路』製作委員会

©『変魚路』製作委員会

©『変魚路』製作委員会

©『変魚路』製作委員会

©『変魚路』製作委員会

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